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No.117
2008/10/10 (Fri) 10:16:47

いよいよ最終報告です。
この二日間、かな~り濃い内容だっただけに、思い出も沢山!!
個人的にも、なにやら成長出来た様な旅でした。

ではでは、二日目レポ、スタート!!


-二日目-

ろくに寝てないわりに、スッキリした目覚め。
でも空はドンヨリ…
前日から雨だと判ってたんですが…実際目の前にすると凹みます(笑)

たいして使ってないホテルの部屋を後にし、いざレンタカーで島原方面へ!!

そう!以前より私が行きたかった場所。島原は「原城」へと向かうのです。
車中は某オッサンバンドの曲を、ノリノリでかけながら…
友人曰く、
「カーステレオからYさんの声、隣から君のハモリが聞こえて、スゲー贅沢なんだけど(笑)」
この車、5.1サラウンドでお送りしております(笑)
ハモルの好きなんで、口ずさむとついついコーラスパートを歌ってしまう…
無論、前日のライブ中も気がついたらコーラスパート歌ってました(笑)生Yさんにハモッたずぇい!!

外は大雨だけど、車中は寝てない&前日ライブだったって事で、妙~~なテンション(笑)
ガンガン曲かけて、ガンガン歌いながら(←近所迷惑)、最初の目的地、お腹を満たしてくれる場所へ到着!
Image042.jpg
じゃ~~ん!!
島原名物、「具雑煮」でございます☆
島原半島一帯で食べられる郷土料理だそうですが、日常的に食べるのではなく、正月やお祭り的な日、めでたい日に食べるそうです。
お餅に白菜、ごぼう、しいたけ、春菊、かまぼこ、鶏肉にアナゴと、これまた具沢山!!お出汁もきいてて!
地元…いや、うちのオカンの雑煮と比べると味が若干濃いものの、満足なお味でございます☆たぶん、島原はこの位の濃さなんだろ~な~と。
雨で冷えた体を優しく温めてくれたお店は「姫松屋」さん!
島原城の南西、すぐ近くにあります。歩いて行ける距離です。

この具雑煮、諸説あるものの、どうやら起源は「島原の乱」だとか。一揆軍が原城に篭城した際に食べていたとかいないとか。ま、腹が減っては戦は出来ませんからね。これ、腹持ち良いです(笑)

次に向かうは、歩いてすぐな勝っちゃん家…もとい、島原城でございます。
Image043.jpg
このお城、血税でおったてました!!勝っちゃんのパパが!当時は相当立派なお城だったとか

では、ここで「島原の乱」を簡単にザッと説明。

勝っちゃんこと松倉勝家の父重政が、この島原城建築したんですが、当時幕府から色々注文があったり、勝手に画策したり、とにかくお金がいる!!
「お金無いなら、下々の者から取れば良いじゃん♪」
と、それはもう、税金取立てまくり。どの時代も、お上は「金は湧いて出てくる」とでも思ってるみたいです。
時を同じくして、豊臣時代からあった「キリスト教禁制」により、これまたドを越した弾圧をしまくり…。当時、反キリスト教だったオランダ人ですら
「いや、流石にソレやり過ぎだから…」
と、ドン引きさせる程だったとか。
息子勝家の時代になってもソレは変わらず、むしろ悪くなる一方。
しかも、悪い事は続くもの…。
当時島原一帯は飢饉に見舞われ、最悪な状況に! でも、厳しい年貢の取立ては緩むこともなく、キリスト教弾圧も酷い有様…。ついに、百姓達の怒りは爆発、1637年「島原の乱」が勃発するのです。

かなり意訳です(笑)

ま、そんな感じで、この島原城。贅沢なお城だった様です。
まったく…税を何だと思ってるんですかねぇ!
Image044.jpg
天気が悪いんで、判りにくいとは思いますが、この城、オーシャンビューですわよ!!
天守閣内は資料館になってまして、切支丹にまつわる資料がたんまり♪
特に、十字架をモチーフにした物が多く、無理矢理十字架取り入れた感満載で、
「逆にそれじゃ目立つだろ!」
と、ツッコミたくなる程でした(笑)


次に向かったのが、長年行きたかった「原城」でございます。

再び、歴史解説(笑)

とうとう勃発してしまった百姓一揆「島原の乱」
色々な地域を吸収し、大きく膨れあがった一揆軍に対処すべく、幕府は討伐軍を編成。九州諸藩に檄を飛ばし、板倉重昌を大将に総勢12万5000。
(余談だけど、実は宮本武蔵も参加)
対する一揆軍。イメージ的には、恐らく「隠れ切支丹が主戦力」と思われてるんじゃないかと思うのですが、実態はそうじゃなく、先代の有馬氏、小西氏に仕えていた武士達が浪人となった後、農民に転落し、この戦の主戦力として参加しておりまして、所謂「鍬や鋤、竹やりなんかを持った農民一揆」では無く、結構装備は充実していた様です。(百姓一揆にしては…って事です)
 
一致団結していた一揆軍に比べ、討伐軍はてんでバラバラ。
それでも、圧倒的な戦力差によりジワリジワりと追い詰めていき、岸壁にそびえる最期の地「原城」へと至るのです。

Image048.jpg
そして、こちらはその原城本丸。
さっきまでさんざん降ってた雨も、ここに来てピタリと止んで…もしや、我ら…天草四郎に呼ばれたか!?(笑)

悪天候で若干沈んでたテンションも、異様な盛り上がりをみせ、誰も居ない事を良い事に有明海に向かって大熱唱しておりました(笑)
劇団☆新感線の「SHIROH」の挿入歌を(笑)

拳を振り上げろ!
その脚を踏み鳴らせ!
戦え、立ち上がれ!自由を信じる者の為に!…って♪

よく考えたら、さっき老夫婦とすれ違ったっけ?(笑)
聞こえてたかな?
余りにも気持ち良かったんで、かなり熱唱してましたからね…

Image047.jpg
本丸に無事到着し(途中、蜘蛛の巣に絡まった)、周りを見渡すと…噂通り、野っ原でした(笑)野っ原ってより、畑?
別名日暮城と呼ばれている辺り、天気が良けりゃ景色が綺麗なんだろな~
Image046.jpg
悔しいので、取り敢えず西の空をパシャリ☆
雲が重いずぇい!!

んで、この本丸で発掘作業をしてその研究成果を本(自己出版)にされたおじさんを発見。
このおじさんも、相当好きね(笑)
私も歴史好きよ♪
そんなモンだから、発掘作業の写真を見せて貰ったのだが…。ついでに島原の乱について質問してみた。
超マニアックな質問を。

「えっとですね…」

あの~…教えてくれるのは有難いんですが…

私、そこ質問してません。
知ってます。
つか、答えになってない上、私達そんなに時間ありませんから!!

丁度バスで来た観光客のおばちゃんが、私達が話してるのもお構いなく話しかけて来たので、その隙に退散(笑)
ゴメンね、おじさん☆
だって、答えをくれないんだもん♪
マニアックな質問してんだから、初心者に話す様な内容を、わざわざ教えてくれなくて良いから!そこは察してよ!基礎はあるんだから!!

で、コッソリ本丸を離れ…
Image045.jpg
四郎さんに別れを告げ…

あれ?これ、天草四郎時貞さんですか?
桃太郎じゃなく、四郎さん?

余談ですが、四郎さんは16歳でこの一揆の大将になり、利発で結構男前だったとか…
真実は判りませんが、かなりのカリスマ性は持ってたんじゃなかろうかと思います。だって、3万7000の兵を率いたんですから。

当時の討伐軍は、誰も彼の顔を知らなかったとかで、大将の首を確認する時も大変だったとか。四郎の母親と思しき女性が、若者の首を見て泣き崩れた事、比較的身なりが良かった事がら、四郎だと判断したそうです。

島原の乱、最期の地…この原城では、板倉重昌(討死)に代わり大将となった松平信綱の指揮の下、兵糧攻めに。海からはオランダ船による砲撃を受け、最終的に攻撃と処刑により、3万7000人の一揆軍は皆殺しにあったのです。

その後、この島原・天草はと言うと…

乱の引き金となった悪政の責任を取り、島原藩の松倉勝家は改易(つまり、クビ)。その後斬首になったとか。大名が斬首になると言うのは、かなり不名誉な事で、当時の価値観でも
「あんた、そりゃやりすぎだよ」
って判断だったんでしょうね~
だって、石高4万のところを、10万で申請してたんですから…
どんだけ、血税絞り取る気だよ!!
親子揃って、なんて事してくれたんだいっ!!

で、数年後。天草は天領(幕府直轄地)になり派遣された代官鈴木重成さんにより、石高の見直しがされ正常な石高(4万石から約2万石)に…と幕府に訴えたんですが…。これまた…(-。-;)
「石高が下がるなんて前例は無いから、訴えはみとめられない」
だってよ…。
なんだよ、それ!! 今も昔も「前例」が無きゃ、何も出来ね~のかよ!!
で、鈴木さん。江戸の自宅で願書を残して切腹…。
急遽養子の重辰が後を次ぎ、彼も父の意思を次ぎ活動したところ、やっとこさ認められたとか…。
当時の領民は、その話を聞き号泣したと伝えられているそうです。

何はともあれ、こうして幕を閉じた訳でございます。

な、長かった(歴史説明が)


ちなみに、車での移動は私が担当。カーナビに案内されながら、前日言われていた様に原城手前で道に迷いました(笑)看板無いし、道細いし、人あんま居ないし。
ただ、原城出て車に乗り込むと…再び激しい雨にあいまして…。
やはり日ごろの行いが良いのか、それとも四郎さんのご加護があったのか…。
もしや、私の地元、福山藩の水野公(討伐軍として参加)が
「え?何?原城攻めに行くの?なら晴れさしてあげるよ~」
とでもしてくれたのか(笑)

何はともあれ、再度車を走らせ島原を後にするのでした~。


いやはや…。
なんとも充実した旅でございました♪

歴史有り、浪漫有り、グルメ有り…。
そして、新しい出会いあり!
全てに感謝でございます。


まだまだ長崎は食べ尽くして無いんで、また行きたいですな♪
 

って、まだ食べんのかよ!?
 



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